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好きに拘らない

 おとなが子どもに好きなものを手がかりに調べることのテーマを決めさせようとしたり、つきたい職業を考える手がかりにすることを勧めたりするのは、好きという思いが生む力の大きさを体験的に知っているからだと思います。特に人生の終盤ではなく10代20代といった段階で大きな成果をあげることがあるオリンピックのメダリストやプロスポーツ選手、プロ棋士、作家などの職業の人たちの原動力が「好き」という言葉で表現されることが多いため「好き」が尊重されるのだと思います。

 けれど何かを成し遂げたきっかけは「好き」かもしれませんが事を成し遂げるのは弛まぬ努力です。側から見て「とても同じことはできない」と思う事を続けられることこそが大事なのだと思います。そして続けている本人はそれを努力と感じていないことが多いように思いますし、続けることを苦痛に感じていないように思います。そのためどうして努力し続けられるのかという問いに対して「好き」という言葉が使われるのだと思います。努力し続けることは楽なことではないのでしょうが楽なことだけが楽しいとは限りません。小さな達成感や満足感を積み重ねていった先に誰もが評価するようなものを掴んだということで、もしかしたら社会的な評価は通過点で目指しているものに天井はないのかもしれないとも思います。この止むに止まれぬ努力に憧れますが、そこまでの求道的なものを持たない人生も多く存在しています。未来が大きく開く事を願って子どもに事あるごとに「好き」を探させるのはどうなのかと思います。私自身人生折り返し点を過ぎて世の中好きなものより好きでも嫌いでもないもののほうが多いと感じています。そして好きがきっかけでなくとも義務感などで仕方なく始めたことでも続けられることはあります。大事なのは続けられることであって、やってみなければわからないことなのではないかと思います。どうして続けられたのかに理由をつけようとして後から「好き」という言葉がつくこともあるのだと思っています。子どもたちには「好き」を手がかりに考えることだけでなく「やってみよう」とか「試してみよう」と考えていって欲しいと思っています。