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人を信じること

 子どもに関わっている様々な立場のおとなが、子どもに対応するときの土台は善意だと思っています。どの関わり方も子どもに良かれと思ってやっていることと感じています。けれど最近虐待など目を覆いたくなるような事件が問題になったりするのでおとなでも人を信じられなくなることがあります。そしてそういった特殊な事例のせいで人の善意を疑いだすと子どもが育つ環境が荒れていくと思います。

 人間は生命の持続を他者に委ねる形で生まれてきます。このシステムでは無条件で他者を信じることで成り立っています。もちろん他者といってもまずは宿った母親であり母親が生活を共にしている家族でありといった閉じられて限られた世界からスタートし徐々にその世界は広がっていきます。そして世界が広がるにつれ少しずつ危険を覚えて自分で自分の身を守れるよう学んでいきます。そのため私たちおとなは子どもに危険を教え身を守る術を伝授する立場でもありますが、子どもが本来持っている人を信じる気持ちを無くさないように守る立場でもあります。危険を教えることもやり方によっては弊害があると感じていますが、より複雑なのが人を信じる気持ちをなくさないようにすることだと感じています。子どもの世界が広がっていっても絶対安心だと思える家庭さえあれば大丈夫というわけにはいかないと思うからです。

 そこで家庭の外の世界の一員となるおとなに求められるのがおとな自身が人を信じている部分を持っていることだと思います。子どもたちより長く社会の一員として過ごしてきているおとなは人が信じられなくなる経験をしてきています。けれどそれでも社会の一員として過ごしてきたのは信じられることもあるからだと思います。そして立場が変わると見えてくるものが違うことも知っていますし、相手が自分に不利益な事をする場合も悪意とは限らないとわかっています。子どもたちはこういった感覚を身につけている過程にある事を意識しないと子どもの言動を資質と見誤ってしまいます。そして人間関係は複雑で善意から生まれた行為が自分にとって不利益を生むこともあります。善意に基づいていれば何をしてもいいとは言いませんが良かれと思ってやっていても、誰も満足しない結果を生むことがあることなどは子どもにとって理解しにくいことです。そして人を信じる事は言葉で教えるのではなく社会が手本を示さなければ子どもが体得することが難しいと思います。おとなが想像力を駆使して他者に寛容な態度を持って対応している姿を見て育つことが子どもに必要なのだと思います