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おばさん化

 年齢を重ねると迷わなくなるのだと思っていました。様々なことへの理解が深まりどうすべきか判断がつきやすくなるのだと想像していました。けれど様々なことへの理解が深まるということは自分の価値観だけで世の中を計ることはできないことを知ることで、知れば知るほど混沌としていくことを身をもって体験しています。

 どうするべきかと言った答えは見つからないので今も迷いはしていますが、惑わなくなったと感じることがあります。「四十にして惑わず」と言いますが40歳になった時は嘘だと思ったものです。でも40歳をはるか越えた今頃になって惑わなくなったかもしれないと思っています。惑わずは迷わないということではないと思うようになったからです。ちゃんと40歳で分かる人はわかることなのでしょうからこんな事を書く事自体恥ずかしい事ではないかとは思います。けれどあえて書くのはこんなことを書いてどう思われるだろうという感覚が薄くなってきているからです。そしてこの「人にどう思われるか」という点で行動を決めることばかりでなくなることが惑わずではないかと感じています。

 カッコよく書いていますがこれっておばさん化したとも言えます。若い頃年嵩の女性の言動を見てあんなこと言って恥ずかしいと思っていたことが恥ずかしくなくなったのかもしれないと思うとちょっと複雑です。けれどこうやって自分の考えていることを発信することなど、この年齢にならなければ人の目が怖くてできなかったとも思います。批判されることより伝えることを優先したくなったからこそ文章にしています。せっかくこの境地に至ったので考えていることを伝えたいと思っていますが暴走しないようにとは思っています。そしてこれはないだろうと感じたら指摘してくれるだろう人の顔が浮かぶのでその点では安心しています。インターネットを使っていますが、顔の見える相手と共有するために始めたことは私にとって心強いことです。そして歳を重ねて今度はどう変化していくのか楽しみでもありますがどう変化するのが予測できないので心配でもあります。けれど信頼感をベースに発信できることに感謝しつつ書いていきたいと考えています。