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疑問と共にあること

 疑問を感じることは学びの入り口だと考えられています。特に新しい指導要領では子ども自身の問題意識を重視していて、子どもの「なぜ」を出発点に学びを組み立てようとしていると感じています。けれど問題意識や疑問というのは、すぐに答えが出るものと答えがでなくても疑問を自分の中に留め置いているものがあると思います。そしてこの感じは歳を重ねてきた今だから言えることなのではないかとも感じています。

 そこで子どもたちの読書環境を整える一端を担っている図書館は、答えが簡単に出ないことに対してのフォローが重要になってくると思います。授業で問題解決することを系統立てて学び出すと、効率的に答えが出ることがいいことのように子どもたちが感じていくことは想像に難くありません。けれど簡単に答えが出ることは既に誰かが答えを出したことで、それは本当は疑問のスタート地点であるはずです。けれど簡単に答えがでる問いを課題にすることが課題をスムーズにこなすことだと子どもたちが気がつくのも時間の問題です。百科事典や資料の丸写しを嫌って自分で考えることを推奨しようとした新しい学びがコピペの温床のような危険を孕んでいることは皮肉としか言いようがありません。

 本という古い情報発信のツールを大切に守り継承している図書館は、疑問を整理し深めていくことに関しては他の追従を許さない専門機関です。授業が滞りなく進むことへの協力だけでなく、子どもたちの「なぜ」がどういう類のもので、どの地点の「なぜ」なのかへの気づきの伴走者であることを意識していくことも仕事のひとつだと思います。そして子どもたちが自分の中に留まる「なぜ」が生まれるかもしれないことを待てるようになっていくことを応援する役割を担えたらいいなあと思います。他から見たら大したことのない疑問かもしれなくても自分の中に留まり続け考え続けることができることは人として生きていく上で大きな力になると考えています。人によって何が留まり続けるかが違うからこそ社会は豊かになっていくのだと思います。成果を求めて動けることだけが歓迎すべきことではないことを先人の知恵を収集している図書館は証明していると感じています。