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「読めた!」の先

 子どもの読書に長いスパンで関わってきて思うのは、子どもの本質は変わらないということです。そして読書することも本が生まれてから変わることなく営まれてきた変わらない行為です。短いスパンで捉えると社会のありようによって本の価値が変わったように見えたり、活字離れと言われ子どもが本を好まないのではないかと思われたりと変化しているように見えます。けれどよく観察すると変わっていないのではないかと感じています。

 私は「本はともだち」事業を続けてきたことで、子どもたちの「本が読めた」という喜びに立ち会ってきました。小学校低学年という年代の子どもにとってできないことをできないと認めることから学びを始めるのはとても難しいことです。自分はできないのではなく、今はたまたまできないけれど絶対できるようになるという感覚を持っているのがこの年代の特徴です。今日はできなくても明日はわからないという、おとなから見たら眩しいような前向きな思考が子どもたちの成長の原動力です。ですから読むことに苦戦していてもそれを口にすることはありませんし、読めないと自分を見切ってしまうこともありません。だからこそ読めた時の喜びが大きいのだと思います。「僕も読めた」「こんな本が読めるようになった」という声は本が読めるようになりたいという子どもの意欲の表れだと思います。

 そして大事なのはその段階で褒めないことだと考えています。こんな本が読めるなんですごいと褒めた途端、本の厚さや長さといった、本の内容から離れたところに子どもは達成感を感じるようになってしまうからです。ですから読めるようになったことで本を楽しむを準備が整い読書の世界が広がったことを共に喜ぶことが大事だと考えています。そしてそれがおもしろかったなら、今度はこれはどう?と内容で水先案内人を務めるのが図書館員の仕事だと考えています。図書館と連動しなければ「本はともだち」事業は完成しないと感じています。