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学校司書の軸足

 子育てにマニュアルがあったら子育てしやすいのではないかとか、逆にマニュアルがあっても教科書通りにはいかないとかいわれますが、子どもが育っていく過程は様々な要素が絡みあって複雑なものです。子育てについて書かれている本は、著者の個人的な体験を元にしたものか、研究者がデータをとってそれを分析して導き出した子どもの傾向だったりするので実は例外が多いものだと子育てを経験して思います。今だからこそこんなことが言えていますが、実際子育てをしているときは藁にもすがる思いになることも多かったので現状打破のために特に選びもせずに手当たり次第育児書を読んで、より混乱しました。

 そして子どもに関わる時には自分の軸足をどこに置くのかということがとても大事だと思います。親と教師では軸足が違います。親は我が子が育っていく過程に寄り添いどんな時も手を離さない立場ですし、教師は集団としての子どもたちに寄り添い学校生活の中での伴走者です。学校教育で個が重視されるようになってきても親のような寄り添い方をしようとすると集団としてのルールが成り立たなくなり集団で学ぶこと自体を否定してしまいます。そのため集団として機能していくための目配りが中心となり子どもたちを相対的に捉える場面が出てくるのだと思います。

 そんな中で学校図書館ではこの個人に寄り添うことと集団として捉えることの両方が求められるのだと思います。親とも教師とも違う軸足なのだと思います。今風に言えばハイブリットですがこれが意外と難しいことなのだと思います。両方のいいとこ取りをする予定がひとつ間違うとどっちつかずになったり両方の悪いところを取り入れてしまうこともあるからです。大事なのは子どもたちに何を学んで行ってほしいのかを明確にすることです。そして子どもたちと関わっていてうまくいかないことは軸足を変えると言い訳に使えてしまうことを心に留めておくことが大事です。本当なら一人一人に寄り添いたいのだけれど、ひとりでは無理などというのはその典型的な例です。

親のように寄り添う立場でも教師のように集団として捉える訳でもないこの中間ともいえる学校司書の立場でしかできないことがあるはずだと考えています。集団としてみる目と個人をみる目の両方を兼ね備えた学校司書の軸足があるはずです。この軸足を決めることで打開策が見えてくるのではないかと考えています。