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特別なことは何もないのかも

 読み聞かせの講座をしていると普段図書館をあまり利用していない方にお会いすることがあります。そうすると図書館にいくこと自体に馴染みのない方にとって図書館がどう捉えられているのか知る機会となり新しい発見があります。

 例えば今蔵書はネットで調べられるので、図書館にあまり足を運ばない人でも読みたい本があるときに蔵書のチェックまではされるようです。けれど蔵書になかった場合どうすればいいのか知られていないのです。読みたい本が蔵書になくても相互貸借による取り寄せやリクエストすることで購入してもらえるかもしれないというシステムはご存知ないため、読みたい本がないから図書館へ行かなくてもいいということになっているようで、以前とはまた違った理由で足を運んでもらっていないのだと思います。

 またたくさんありすぎて選びきれないから図書館を敬遠するというお話を伺うこともあり残念な感じがします。特に親御さんがご自身の子どもさんのために本を選ぶという場合に何がいいのかわからないから選べないという声をよく聞きます。自分の本というより子どもが読む本を代わりに選んでいるという立場は利用者主体にも合致しきれない事例だと思います。けれど自分で選ぶことよりもお勧めを知りたいという要望にどう応えたらいいのかはちょっと迷うところでもあります。自分で選ぶことを尊重する図書館としては利用者が選ぶことのお手伝いはできても代わりに選ぶという発想はありませんから需要と供給が噛み合わず、親切のつもりが不親切だと捉えられているようで歯痒い気持ちになります。また学校教育でやりすぎかもしれないと思うほど自分で選ぶことが重視されているのに、おとなでも代わりに選んで欲しいという要望があることに不思議な感じもします。本の世界は広く深いので道案内をする人が必要だという点ではおとなも子どもも同じなのかもしれません。代わりに選んでもらえないけれど相談にはのってもらえる場所というアピールはもっとしてもいいのかもしれないと思います。お勧めはなんですかという利用者からの問いに利用者主体だからそれはできませんという教科書的な姿勢を示すより、相談にのってもらえるという体験をしていってもらうことからなのだと思います。これは日々利用者さんと向き合っている図書館職員は既にやっていることだとも思います。即効性はなくともこの積み重ねを怠ると選択肢があることのメリットを感じてもらえない人が増え図書館の存在意義が薄れるかもしれない問題です。効率的により効果のある本を知りたいという現代的な需要にも図書館が今まで行ってきた手法は有効だと考えています。丁寧に対応していくことは利用者が自分が何を考えているのかを自分で確認する手助けになるからです。図書館が生涯学習の拠点と言われるのはこんななんの変哲もない対応の積み重ねがあるからだと思います。