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自分で気がつくからこそ

 読書の魅力のひとつは、繰り返し読むところにあると感じています。繰り返しといっても時間を空けずに何度も読むことだけでなく年単位で時間をあけて読むことも繰り返しだと考えています。特に子ども時代に読んだ本はおとなになってから読んだ本より記憶に残っていることが多いので、内容がわかっているつもりでも読んでみたら思っていた印象と違うことがあります。自分の経験値が物の見方を変えることや気になる登場人物が子どもの時と違うこと、また子ども時代より自分の価値観がはっきりしているので印象が変わるのだと思います。

 子どもを読書に導く際には将来的にこの変化の楽しさを含めて楽しんでもらえるようにしたいと考えています。そのためには、同じ本を繰り返し読む経験が欠かせないと考えています。繰り返し読んでも楽しい本という視点は時代が評価を通した本に通づるものがあります。読み飽きない本というのは一人一人違うのだと思いますが、それでもある程度括れるものでそれが時代が評価を通した本なのではないかと実感できるようになってきました。

 ただ繰り返し読む楽しさをわかってもらおうとして読後感が変化することなどを説明してしまっては台無しだと思います。これは自分で発見するからこその驚きであり楽しみです。私たちができるのは同じ本を繰り返し読むことを否定しないことです。そして何度読んでもおもしろい本があることを手渡す本で示すことだと思います。

 最近子どもたちは年齢なりのあどけなさの残る問いに最先端の情報を授けられて、なんでも知っていると思いこみ発見の驚きがないので知る喜びが薄くなってきていると思います。人がほとんど到達したことのない風景だろうと絶滅危具種の生物だろうと鳴き声までもインターネットで探せばたちどころに知ることができます。どんなに些細なことでも、時間がかかろうとも、既に知られていることであろうと自分で見つけ出した喜びというのが実は知的好奇心の土台だと思います。本も自分で読んでこそ自分のものになり、自分で発見することが読書の喜びだと思います。