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惜しみなく言葉を使う

 子どもが言葉を習得していく過程を見ていると言葉は身体感覚と結びついているのではないかと思います。おとなは言葉の習得というと語彙数が多いことといったイメージを持ちますが、これは母語の土台の上に外国語を習得する過程の感覚だと思います。単語数を増やすために時間を割くのは学校生活で誰しも体験することだからです。けれど母語の場合、もっと生活に密着した形で単語が子どもたちの中に蓄積していく感じがします。そのためどんな生活をしているのか、誰とどう関わっているのかで使える言葉の数や種類が違ってくるのだと思います。最近テレビ以上にネット環境の発達で地域性が薄れていますが顕著な現れ方としては方言などがその例だと思います。またこれも最近は薄れつつありますが階級や職種によって使う言葉が違うというのも日本だけでなく世界中で見られることだと思います。

 そんな中で、子どもたちと関わる時は特別なプログラムや手法以前に言葉で伝えることや言葉の奥深さを楽しんでいくことが大事だと考えています。そして子どもに寄り添うことを考えすぎて、子どもの使う言葉に合わせすぎると言葉が育たないと感じています。同じ言葉を使うことは仲間だというメッセージでもあり子どもの中に入っていくためには必要な場合もあります。けれどそこで満足せずに言葉を言い換えて見せるなど、子どもたちの刺激になっていくことがおとなの役目だと考えています。「さあ一緒に言ってみましょう」という強制ではなく「あれっ」と思ってもらうだけでいいのだと思います。この「あれっ」が積み重なっていつかひょんなことで「今がその言葉を使う場面だ」と子どもたちが思うことがあるのかもしれないというのが私たちにできることなのだと思います。母語において語彙を増やし言葉を豊かにするというのはささやかかもしれませんが見返りを求めずに言葉を使っていくことから始まるのだと思います。