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言葉で遊びたいという気持ち

 言葉で遊びたいという気持ちは、元来人間に備わっているものではないかと想像しています。言葉で遊べるほど語彙や知識があるという形で和歌などを思い出しますが、そう堅苦しく考えなくとももっと自由に音で楽しんでいたりもします。その典型的なものとしてラップが思い浮かびます。ラップはヒップホップのビートにのせてリズミカルに語る歌唱法で音楽のひとつです。1970年代初頭ニューヨークのサウス・ブロンクス地区で貧困層だったアフリカ系アメリカ人の若者たちが広場に集まって音楽をかけ踊ったり絵を描いたり歌ったりという中でラップが出来上がったとされています。

 日本では1980年代に日本語でラップをするラッパーが登場し1990年代には大規模なイベントが開催されるようになり、日本語ラップはひとつのジャンルとして発展しています。ラップの特徴としてリリック(歌詞)で韻を踏むことと、リズミカルに抑揚をつけるフロウという手法があります。中でもこの韻を踏んでいくことはライムと呼ばれ、まさに言葉遊びです。ラップではライムを決めることが、かっこいいとされ確かにうまく決まるとラップ好きでなくとも心地よさを感じます。英語圏の詩は韻を踏むことを伝統的に好んできたという歴史があるのでラップが英語圏で生まれたことも大きいのだと思います。そして日本語ではどうなのだろうと思いましたが実際聴いてみると日本語は日本語でおもしろいと思います。ただ日本語の方が音だけではわからない言葉も多いので、聞き取りにくく字幕が欲しいと感じました。

 こんなふうに文学とは関係のない世界でも言葉のおもしろさを追求したジャンルが生まれてきているのを見ると、言葉で遊びたいという欲求は住む地域や使う言語を越え、世代を越えて等しく持っているものだと思うのです。ラップはその歴史を見ても品行方正で美しい言葉を求めてはいませんし、ラップバトルと呼ばれる即興の口喧嘩でラッパー同士罵りあったりするので眉をひそめる方もいらっしゃると思います。けれど言葉を使いこなすというのは選ばれた人のものではなくこういった遊びが広く支えてくれているのだと改めて思います。