· 

やっぱり本が好き

「本はともだち」事業で長年読み始めの子どもたちと付き合っているので、その世代の子どもたちが楽しめる本をという視点で本を読み返したり、新しく読んだ本を評価したりすることが多いのだと最近気がつきました。というのも先日同世代で本好きの人と話す機会があり子ども時代好きだった本の話をしていたら、その方がやっぱり新しい本よりも子ども時代好きだった本を読み返して楽しんでいるとおっしゃるのを聞いて私は最近読み返していないなあと思ったのです。

 ヒュー・ロフティング、アーサー・ランサム、リンドグレーン、ケストナー、思いつくままに話していてもどの作品が好きかがお互い流れるように出てきます。そして本の最後に全何巻とその作品の続きが書いてあってそれを頼りにワクワクしながら次の本を読んでいったという感覚までぴったり同じで同世代の読書仲間と話す楽しさを改めて感じました。

 またお互い好きだった本が海外の作品だったため、最近軒並み新訳が出版されていますが、その感想も同じで楽しくなってしまいました。子ども時代に読んだ版があまりにも身体に染み込んでいて新訳だと違和感があるという点と、より物語を的確に伝えているのはどちらの翻訳かを読み比べて検討したいのだけれど、まず違和感が先にたってしまう点です。ただこれしかないという訳、例えばドリトル先生で井伏鱒二さんが訳された「オシツオサレツ」などはあまりにぴったりすぎて他は考えられないという感覚も一緒でおもしろいと思いました。子ども時代に読んだからこその感想というものもやはりあるのだと思います。

 そして本はともだちを始めた時に考えていたことを思い出しました。自分が親しんだこれらの物語を、本の厚さや活字の大きさが原因で読みたい本から弾いて欲しくないという思いです。こんなにおもしろいのだから読むことに苦労しなければきっと楽しめる子がもっといるはずだと思ったのです。読んでみて好みではないということもありますが、読み応えのある本を読んでみる子どもたちが増えることを目指していたのでした。私も久しぶりに読み応えのある児童文学を読みたくなりました。まずは何を読もうかしらと考えると子ども時代のように本に呼ばれているような気分になっています。