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集団だからこそ

 「本はともだち」のルールはいくつかあるのですが、昨日話題にしたように複数のルールがある場合、子どもによっては優先順位の判断がつかずに問題が起こることがあります。こういった悩みは私たちも抱えていて、この問題から自由になることはないのかもしれないと思いました。昨日話題にした子どもの問題点を、「本はともだち」で紹介され持ち込まれた本は全員が全冊読むというルールと、家に持ち帰っても置きっぱなしにしないというルールの優先順位がわからなかったという解釈もできるからです。全員が全冊読むのだから自分も読まなければならない。でもまだ読めていないから家に置いておこうというのも一つの答えです。どちらのルールが優先されるのかという判断は子どもに限らず意外と難しいのだと思います。そしてこの場合家に置きっぱなしにしないというのも全員に全冊回すために必要なルールだったりするからです。

 考えてみると、おとな同士でも話が通じないというかどうして優先順位の判断がつかないのだろうと思う相手がいます。こういったすれ違いは何か一緒に仕事をする際に際立ちますが、本来人間関係は幸せな誤解の上に成り立っているというか厳密に白黒つけないところで成り立っているのだと思います。とてもいい人なんだけれど一緒に仕事をするとうまくいかないというのはそんな現れかもしれません。そして話が噛み合わない相手もこちらのことをどうして話が通じていないのだろうと思っているのだと思います。

 コロナ禍以降、以前に比べて不安要素に目がいくようになり人間関係がギスギスし社会が軋んでいるような息苦しさを感じます。人間の行動に決定的な正解はありません。殺人や強盗などの人として絶対犯してはならないという決まりは時代を遡っても国や宗教が違っても変わりませんが、それ以外はどの時代でもどの国でも個々の寛容さが社会を支えているのだと思います。そして寛容さは数値として測れるものでもありませんからこの程度という加減を示すことができません。集団の中で許したり許されたりする体験が社会に出たときの寛容さの土台になるのだと思います。そういった意味で集団生活を送ることは子どもにとって欠かせないことだと考えています。集団生活を送ることは嫌な思いをすることもありますし納得できないこともあるでしょう。でもそういった体験からしか学べないこともあるのだと感じています。