· 

読書の場合

 本の紹介をしていると、いわゆる読解力と言われるものと物語を読み進める力というのは重なる部分があるとしても同じではないと感じています。文章が表している内容を正確に読み取り理解していくことは物語を読み進める上で必要なことではありますが意味が正確に取れない曖昧な理解でも前後の関係からある程度推察して読み進めることができるからです。

 日本の国語教育で求められる読解力は意味を正確に取るだけでなく、多くの語彙や言い回しに触れ、文化の背景を知り、言葉の奥にある心情を読みとるような力のことを指していると感じています。これは国語の授業の中で文学作品を題材に行われてきた授業を考えるとわかりやすいと思います。必ずしも主語を必要としない日本語の場合、行間と言われる心情を読み取るような力は日本語を使いこなすには必要な力だと思います。言葉と文化が切り離せないのはこういった所にも現れていて、空気を読むというような場の雰囲気を察する力などは日本語を使うからこその感覚だろうと思います。

 ただこの読み方は読書する際にいつも使われていなければならないものではないと思います。けれどこの日本語的な読解力は必要なもので国語の授業で積み上げていく必要はあると考えています。そしてこれは磨いていく力で最初から読解力を求めると自分で読むことが苦手になる場合があるのではないかと思います。そのため授業以外でも読書が必要でその場合は読み進める力をつけることに比重を置くことが重要だと考えています。

 読み進めることに注目するなら、ストーリーテリングが物語を丸ごと渡すことを重視しているのと同様に自分で読む時も物語を丸ごと受け取ることが重要なのだと思います。ストーリーテリング のテキストとなる昔話は止まらずに一回聞いて内容が受け取れるように非常にシンプルな作りで自分で読むとそっけないと感じる程です。けれどこの単純な作りのため戸惑うことなく物語の展開についていくことができます。読み始めの子どもたちも物語の幹を追えれば多少の枝葉が理解できなくても物語を物語として受け取れます。このざっくりとした受け取り方を嫌う人もいると思いますが、まずは物語を丸ごと受け取れるところからしか読書は出発できないのではないかと考えています。ですから読み始めの子どもたちにとっておとなが満足するような意外性に満ちた凝りすぎた物語は読みにくいのではないかと思います。こう書いていくと読みはじめの子どもたちに向く本はおとなが読むと満足できないと思われるかもしれませんが、単純な作りでも骨太で説得力があり物語を楽しめる作品は存在します。現に昔話は全く古びることなく生活習慣がどう変わろうとおとなも子どもも魅了してきました。読み始めの子どもたちに向く本がどういうものなのかは昔話が教えてくれると思います。