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物語が足りないのかも

 最近、小学生にストーリーテリング をしていると物語を物語として捉えられない子が増えている気がします。物語の中で起こっていることに対して現実社会の価値観を持ち込み物語の世界に入れない子を以前より見かけるからです。これは物語の中の一部分に限れば以前からあった反応なのですが受け入れられない場面と受け入れられる場面があるというのではなく物語自体に入れないという子も出てきています。

 物語を楽しむということは物語の世界と現実の世界があることを理解していることが前提で、物語の世界と現実の世界を行き来できることが重要だと考えています。年齢が低いほど物語の世界と現実の世界の境は曖昧で混沌としていますが、徐々にその境がはっきりすることで物語を物語として楽しめるのだと思います。だからと言って最初から境を意識させることが目的ではありません。境を言葉で意識させようとすると物語の中で起こることは嘘で現実が本当のことといった判断基準に陥りがちです。実は本当のことか本当でないことかといった考え方は物語と現実の関係性の本質を捉えていません。なぜなら物語の中で起こったことは物語の中では本当のことだからです。現実社会で起こることのみが本当のことだと限定することは想像力を著しく削ぐ行為だと思います。ファーストブックに代表される乳児期からの読み聞かせが注目されているのは物語と現実の世界を言葉で教えるのではなく絵本を楽しむことで物語世界を知っていくこともあるのではないかと考えています。

 社会的には親子での絵本の読み聞かせは推奨されているのですが、絵本に親しんでいるかは各家庭によってかなり差が出ます。以前は保育園や幼稚園といった集団生活の中でもこどものともなどの月刊誌の購入を勧めることによって環境による差を埋めるような取り組みも行われてきたのですが、現在は画一的な動きを嫌い各家庭の価値観を最優先するので月刊誌がサポートの役割を果たせなくなっています。そのため知らずに物語に親しんできたという状況が期待できなくなっています。

 ですから小学生になってから物語を物語として捉えるための体験が必要になってくるのだと思います。そして物語を物語として捉えられるようになるには、物語を丸ごと受け取る体験が欠かせません。そのためにストーリーテリングがその役割を果たせると考えています。学校生活の中では幼児期のように回数を厭わずに読み聞かせをするという時間が取れません。絵本をたっぷり楽しんでからストーリーテリングを楽しんで欲しいと考えてきましたが、幼児期での絵本との出会いを逸している場合はストーリーテリング からでもいけるのではないかと予想を立てています。もともとストーリーテリングは一対一のものではなく集団に向けて語るものです。そして絵という縛りがないので密集して聞く必要がありません。クラス単位で聞いてもらうことと相性がいいのです。そしてすべての子が絵本と出会っていない訳ではないので物語を物語として既に捉えることができる子どもたちも混ざっています。この子たちが核になって聞き手を引っ張ってくれることが期待できます。小学生、特に低学年にストーリーテリングをたっぷりしたら絵本を楽しんでこなかった子どもたちも物語を受け取る力をつけることができるのではないかと考えています。