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読む以前に

 40年ほど前に公共図書館でおはなしの会を立ち上げたのは、物語の楽しさを知らない子どもたちに物語との出会いの場を作ろうと思ったからです。ところが続けているうちにじっと黙って聞くことが苦手な子どもたちが目立つようになってきました。そのため物語を聞いたらおもしろかったという体験を増やすことで黙って聞くことのおもしろさをわかってもらおうというのもおはなしの会の目的になりました。そして最近、物語を聞く体験の少なさだけでは説明がつかない子どもたちに出会うようになりました。言葉とイメージがきちんと結びついていないというか、言葉が自分のものになっていないのではないかと思えるようなタイプの子どもたちです。語り手側の手応えとしては語っていて物語が上滑りしていく感じなのです。特にストーリーテリングは絵の助けを借りることができないので、聞き手が言葉からイメージを作れることを大前提として物語を伝えています。物語の中では想像上の生き物が登場したり今は使われていない道具や魔法など現実社会では決して出会わないものが語られることがあります。そういったイメージできないものやことが起こることがあってもその前後がきちんとイメージできていたら物語についてこられるような聞いて理解しやすい作りになっているのがストーリーテリングのテキストです。けれどイメージできないものが多すぎると物語として受け取れません。この状態だと多分自分で読んでも内容が受け取れないということになります。読むことも活字からイメージを作ることだからです。物語を物語として受け取れない理由が言葉を体得していないということだとすると、物語を聞くことだけでは限界があります。

 この言葉の問題は子どもたちの生育過程と密接に結びついています。家庭の問題、もしくは保育施設の問題として捉えられてきました。けれどここまで子どもたちが言葉の習得に問題を抱えるようになってきた今、図書館も管轄外というスタンスではいられないのではないかと感じています。子どもたちが言葉の習得が十分でないままおとなになっていくことは読書する人が減ることでもあるからです。それは子どもの育つ環境を嘆くことや、昔はできていたのにと今の子育て世代を批判することではなく、今の子どもたちに図書館として何ができるのかを考えるべきことです。今起こっている問題に私たちも連なっています。自分も読書が好きでその楽しさを子どもたちに伝えようとしてきましたが、読む以前のところから考えないと絵に描いた餅状態になりかねないと思います。