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大事なのは解決策じゃないのかも

 私は子どもの頃から本を読むことが何より好きだった上に偶然とはいえ通っていた小学校のすぐ側という恵まれた場所に図書館が建設されたこともあり、図書館に対して子どもの頃からずっと好意的な感情を持ってきました。図書館は好きでしたがどういうわけか司書になりたいと思ったことはなく、仕事として図書館に関わろうという発想がありませんでした。私は子どもの頃からの習性で図書館は買う本を選ぶ場所で読んでみておもしろかったら自分で買うという楽しみ方をしているからかもしれません。そのためあまり手助けを必要としておらず図書館員の方との接点はほぼなく逆に放っておいてもらえることが心地良かったので司書という職業を意識したことはありませんでした。けれどおとなになって図書館でおはなしと本の会をやろうとしたところから利用者ではない視点を持つようになりました。そして毎日の生活の中で不具合を修正するするような感じで図書館で自分ができることを考えてきました。図書館と関わり続けることで小さい変化が積み重なって視野が広がったのだと感じています。先が見通せていた訳でもなく答えが見えていた訳でもありません。思うように事が進まないことの方が多く自分の非力さを感じるばかりということからはきっとこれからも解放されることはないのだと思います。図書館が公共施設である以上図書館を取り巻く人たちの意見の集約が難しいのは当たり前ですし本に対する感覚も統一できるものではないからです。

 けれど最近このすっきりといかない感じが大事なのだと感じるようになりました。すべての人に開かれすべての人が利用することを目指すとしたら混沌とせざるを得ないと思います。人が集まって暮らすというのは割り切れない感じが必要だと思います。正しいか正しくないかといったわかりやすい判断だけでは成り立たないからこそ人間なのだと思います。お互いの違いを認め合いつつ社会を形成するには譲れるところは譲る寛容さが求められます。図書館は個々が個々の判断で利用する場所でありながら資料という共有財産を構築し共有で利用するという究極の社会性を求められる場所でもあります。利用者に寛容さを求め社会性を求めていくのが難しいからこそ解決策を思いつける人ではなくずっと考え続ける人が増えていくことが図書館の助けになると考えています。