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主張と譲歩

 個性が大事と言われ、ナンバーワンではなくオンリーワンでいいのだという考え方が広く浸透し社会の共通認識になってきていると思います。けれどその割に子どもと関わるおとなの姿勢はどんどん均一になっていっている感じがします。子どもたちに個性を要求しながらおとなは個性を発揮していないのがなんともバランスが悪い気がします。本来なら個性の先にある生き方の違いが生活様式や習慣の多様性を生みをそれを見聞きすることが子どもたちに個性を自覚させるものなのではないかと思うからです。そして個性は尊重されるべきものですが、集団を形成するためには折り合う必要があります。実際社会は集団生活を成り立たせるためにそれぞれ譲れるところは譲り集団生活を円滑に進める努力をしています。これは子どもであっても個性という言葉で免除されることではないと感じます。

 加えて子どもの人権という感覚も子どもを取り巻くおとなを迷わせていると感じています。人権を重んじるということは対等な間柄だと認めあう必要があります。けれどおとなと子どもでは対等な間柄にならない事が多く、保護し養育する相手とどう認めあうのかの経験が薄いからだと感じています。欧米では赤ちゃんの頃から親の寝室と子どもの寝室を別にするのは当たり前で夜の時間は子どもとおとなは別に過ごす風習があります。ですからレストランやコンサートなど子どもお断りの場所があることは珍しいことではありません。けれど日本では子ども連れで行く事ができない場所に対して不公平だという声が上がる事があります。これは不公平なことではなく、その場を利用する人たちに不利益が出ないようにする配慮だと感じます。

 多様性、人権という言葉が一人歩きし拡大解釈されると、どう振舞っていいのか分からなくなり社会として回らなくなると感じています。人権が尊重され多様性が認められる社会に憧れますが、そこを目指すなら主張できる事と同じ位譲歩できる事が必要なのかもしれないと思います。