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伝えるには

 ブログを書くようになって伝えたい事をどう言葉にしようか考える事が習慣になりました。どういう言い方をしたらわかってもらえるのかという問いが頭の片隅にあると、この言い方ならどうだろうというものを何かの拍子に思いつきます。これできっとわかってもらえると嬉しくなりますが、新しく思いついた説明がわかりやすいとは限らないのだと質問をもらうとよくわかります。このHPには問い合わせ先があり、質問は大歓迎だとお知らせしています。けれど読んでくださっている方が質問をくださることは稀です。そんな中で最近普段子どもの本に関わっていない知人がブログを読んでくれるようになり、時折質問が届くようになりました。ところがいただいた質問に答えてはいるのですが、説明しきれずにわかってもらえない事が多いのです。けれどこのやりとりはとても刺激的で興味深いと感じています。

 元々このブログは仲間内で閲覧し共通認識を持つことを目指して書き始めました。そのため子どもの本に関わっている体験を踏まえた話になっているのだと思います。その経験がないとなんの話なのかが想像しきれずに迷子になるのだという事が知人とのやり取りで浮かび上がってきました。論文などで言葉の定義から丁寧に説明していくのは、議論が深まるための手法なのだと改めて思います。けれどこの手法を使おうとすると文章量が増えていきます。ところが近年わかりやすさの基準が直感的にわかる事に偏ってきています。短文が好まれ、文章すら割愛して写真で共有しようとする風潮も強いと感じています。若い世代には私の書いているブログの分量さえ長文すぎて読みにくいと言われます。読み手も書き手も、文章量があった方が伝わることと文章量がなくても伝わることを意識して使い分ける必要があるのだと思います。これは優劣をつけるものではなく適性を見極めるということですが、それには長文を読む事に不自由さを感じていない事が大前提です。結局読む力が育まれていないまま文章量を減らすことで解決することはないのだと思います。